元禄14年、徳川五代将軍・綱吉の時代─。
赤穂城主・浅野内匠頭は、勅使下向に際し接待係を命じられた。やがて江戸入りした内匠頭は指南役の吉良上野介と性格が合わぬばかりか、賄賂を贈らなかった為に、数々の意地悪をされ、遂に怒りが爆発、江戸城松の廊下で吉良に斬りかかった。時に元禄14年3月14日のことである。
江戸城松の廊下の刃傷事件の報は、早駕籠で赤穂に届いた。内匠頭は切腹、浅野家はお家断絶、そして吉良にはお構いなしとの一方的な裁定に赤穂の家臣は憤激した。<開城>か、<殉死>か、揺れ動く赤穂城。やがて、家老・大石内蔵助の出した切腹嘆願は却下され、大石は最後に残った同志達と共に仇討ちの決意を固めるのであった。